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【日本的室内装飾 床の間のメンタリティ】

北海道の現代住宅でほとんど見られなくなったものに床の間がある。
第2次大戦後、庶民の住宅では省略される室内装置の典型とされたように思う。
Wikipediaを見ると以下のような「用途」記述がある。
〜絵画や観賞用の置物などを展示する空間である。
近世には、有力者の館や城の広間、有力者の家臣が、仕える主人を
迎え入れるため邸宅の客間に座敷飾りが造られ、その一部として採用された。
主人のいる上段に装飾を施した床の間などの座敷飾りを造り、
主人の権威を演出した。江戸時代には、庄屋などの一部の庶民の住宅において
領主や代官など家主よりも身分の高い客を迎え入れるために
床の間などの座敷飾りが造られ、明治時代以降になると、都市部の庶民の客間にも
床の間が一般化するようになった。現在では掛け軸をかける習慣が衰え、
畳の部屋でも床の間を省略することも多い。〜
こういう「見せる」空間装置をどのように活かして使うか?
一般住宅でも、住まい手の「暮らしデザイン力」が毎日のように試される空間。
そうすると、こうした空間は「来客」などの「他者の目線」を前提とするのでしょう。
そういった「接遇応接」というような機能は、非日常的なものであり、
そもそもひとの交遊の仕方自体が、大きく変化した現代では
住宅建築の機能からそぎ落とされていったのも、ごく自然な流れ。
ニッポン人は「やせ我慢」のようにこうした接遇文化に立ち向かっていたのでしょう。
わたしが育った親の家でも、昭和40年代くらいにはこうした機能は失われていた。
そういう文化転換の端境期、わが家の「客」であった母の弟・伯父などは
たまに出張のついでで札幌のわが家に来ることがあっても
「堅苦しくなる親戚の家で泊まるより、ホテルの方が気楽でいい」
と正直に言えるようになっていたことが思い起こされる。
こういった日本人の住宅文化の転換期だったのではないかと思う。
そういった転換以降、他者の家に泊まるというのは、友人関係における
果てしない「宴会の末」のこととして、ほぼ雑魚寝感覚の事態に変わった。
年に数回もあるかないかの時のために
そのときにさらにその家の「格式」表現を目的とする装置は維持困難になった。

一方写真は先日訪問した愛別の古民家改装店舗の座敷空間。
店舗というような空間演出に於いては、
こういった「舞台装置」にはデザイン的な意図などが表現しやすい。
ある非日常的なるものをそこで演出することが可能になるので
店舗デザインにとっては、格好の演出装置に転用しうるのでしょうね。
そういう考え方からすれば、広く(床の間という)空間認識が共有されてなおかつ、
現代の一般住宅からは消え去ったモノって、劇的演出装置として効能が高い。
こちらの床の間では、背景色にかなりキッチュな赤が配色されて
さらにLEDによる間接照明も配されているので、
置かれる静物への展示効果はかなり高められている。
こういう空間での応接接遇、いわばやせ我慢の民族的な美のようなモノ、
そういうものが、非日常でハレっぽい価値感演出にもなっていくのでしょうね。
まことにため息の出るような生け花に魅了されていました。

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