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【空海開基・東長寺の「地獄図」参観】



本日は休日につき、非住宅ネタであります、それも
おっかない地獄の阿鼻叫喚図についてであります(笑)。
現代社会では「科学」という人間の価値判断基準が支配的になっています。
ごく当然だとそのことを思ってしまいますが、
こういうことは歴史的に見るときわめてごく最近、人類が経験していること。
科学的概念が広がる以前には、ひとはどう生きて考えたらいいか、
多くの場合、宗教がそのことにもっとも大きく関与していた。
生きがたく苦しみだけが多い現世の暮らしを離れ、
せめてあの世での救済を希ったのでしょう。
そのときに、反語表現として「地獄」という概念が持ち出されたのは、
どうも洋の東西を問わないらしいようです。
ふつうの会話にこうした「地獄」というバーチャルな概念が強く残り、
ひとの生き方に大きく影響したというのは、
相当に強烈なインパクトを「地獄」概念が持っていたからなのでしょう。
こういうバーチャル概念がなぜ広がっていったのか?
20世紀中庸に生まれた者としてリアルには想起しづらいものがある。
なぜこんな概念に深くとらわれていたのか、疑問もあった。
ときどき、寺院などでこの「地獄図」は見たことがありますが、
先日、福岡市内で時間待ちの時に、博多駅近くの「東長寺」で見学できた。

弘法大師・空海さんは宗教者としての成功を
唐の都で勝ち取って、意気揚々と凱旋帰国したのですが、
そのときの日本政府側との交渉の結果なのか、
しばらく博多に滞在していた。その時にこの寺を建てたとされている。
空海さんには司馬遼太郎さんの「空海の風景」を読んで興味を持ったのですが、
その空海さんと、この「地獄絵図」はあんまり結びつかない。
むしろもっと「科学的」宗教者であったように思われてならない。
満濃池の治水事業などを指揮し、成功させたという科学的知識が
ふかく時の権力層をかしづかせていったに違いないと思える。
ですから、この地獄絵図は迷える衆生のため、
わかりやすくキッチュな表現を後世になって造作したのでしょう。
空海さんとはまったく縁のない図だろうと思います。

それにしても、であります。
こういういかにもおどろおどろしくヘタな表現には迫力がある(笑)。
その上、この地獄絵図は暗い回廊の中に展示されている。
いかにもおっかない場所で、驚かせる表現を心がけている。
むしろそういう宗教側の必死さが伝わってくるように思います。
考えてみれば、芸能とかの娯楽接触が少ない時代、
またメディアが存在していない時代、こういう寺院は多くの人間が
集まってバーチャル体験を共有する数少ない機会。
そんな風景の中で、こういう表現にはニーズがあり、
クチコミの大きな手段であったのでしょうね。
寺というのは宗教と言うよりも、メディアだったのではないかと、
人間の想像力、表現力について興味深く見学させていただきました。

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