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松島のホテルから

松島、というのは
なぜ日本三景ということになったのか、
江戸時代以降に言われるようになったのだそうですが、
松をたたえた島々が海の中に点々と連なっていて
その様が、得も言われぬとなったのだと思いますが、
たぶん、江戸期以前までは、
日本人の国境感覚が宮城までが日本最北であり、
宮城野であるとか、松島というのは
「最北の地」という感覚がDNA的にずっと刷り込まれてきた
歴史があるように感じます。
それは、ちょうど白河の関とか、勿来の関という
最果ての地イメージとともに、日本人に北へのロマンを植え付けてきた。
そういうなかに、もっとも美しいイメージとして
松島という多島海の風景が、見果てぬ夢の光景として日本人に
語り継がれてきた、という意味が大きいのだと思います。
多島海というのは、ひとに多くのイメージを喚起させるものなのでしょう。

ただ、いつも観光地としての印のような位置に
「松島や、ああ松島や、松島や」
っていう詩文が碑として残され、
「松尾芭蕉」というように書かれているのを見ると、
むむむ、という心境に陥らざるを得ない部分があります。
芭蕉は、奥州紀行を書き、たしかにこの地も訪れたようですが、
文学者としてのかれが、まさか、こんな詩文を書き残すわけがない。
いかにも、観光の目玉として芭蕉という名前を利用して
客寄せを図った、というように印象されてならない。
こういう「うさんくささ」が感じられる部分が、
松島の価値をどうも悪くしているような気もします。
単純に、ホテル大観荘からのごらんのような眺望はすばらしい。
そのまま、素の魅力で迫ってくると思うのですね。
ただ、年間観光客入り込み数では頭打ちの様子。
中国やアジアからの観光客入り込みは、期待しにくい。
日本三景とはいっても、アジアを取り込んだ観光戦略では
なかなか方向性が模索途上という感じが強いですね。

さて、ここんところ、
韓国哨戒艦の沈没事件から、半島情勢が緊迫してきています。
ベトナムのときもこのような事件が起こって
その後、戦争へと状況が突入していった経緯もあり、
なにか、不安な状況変化が起こってきそうですね。
世界的な不況から、戦争が起こるというのは
洋の東西を問わず、歴史の不変の鉄則なので
なにやら、きな臭い情勢になってきたと思っています。
北朝鮮は、かなりの戦争寸前瀬戸際政策に舵を切ってきています。
朝鮮半島の不安定化は、日本の安全保障、
日本自身の権力構造変化の一番大きなきっかけであるのは、
これもまた歴史が厳然と教えてくれている。
もし、韓国がまとめた事件報告が信頼できるとすれば、
北朝鮮は、一部軍部が独走をはじめた可能性がある。
この事件が、金総書記が中国を訪問する前後に勃発した経緯からすると
どうも、コントロールの効かない権力構造が
北朝鮮に生まれているとも考えられるのですね。
すぐにでも日本に波及してくる問題。
しばらく、目が離せない状況ではないかと思います。

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