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【意地の都市住宅「公と私」〜接道・幅員】


北海道、札幌のような敷地条件の地域は、
世界的には近代的な計画都市では一般的だろうと思います。
しかし近代以前の都市、あるいは近代都市でもその周辺など、
ほぼ無計画で「街割り」された地域は、まったく様相を異にする。
そして実は日本の都市の大部分は、そういう土地条件の地域が広がっている。
札幌は明治以降にアメリカから招いた「お抱え技術者」たちのなかの
都市計画者たちが、北米的計画都市の考え方で基本の街割りをした。
なので、冬期の積雪条件も考慮に入れて、
道路幅員は一般的に30m近く、小路でも最低6mという広大さで計画した。
その様子はいまでも、何条何丁目という市中心部の「原札幌」地域では一般的。
こういった街割りでは、より人間的コミュニティ形成ではマイナスに働いたが、
その後のモータリゼーション革命には余裕を持って対応できた。
日本の他の大都市が、交通問題に悩んだことを考えれば、
「都市計画」の素晴らしさを実感できる街だと思う。
なので住宅建築を考えるとき、接道条件とか、その道路幅員とか、
あまり大きな検討条件にはならない地域性を持っている。

一方で、ニッポンに一般的な数百年以前に街割りされた都市で
住宅を考えていくときに、この敷地的「与条件」との応答が、
大前提の問題として、戸建て住宅設計に重くのしかかってくる。
写真の家は、横浜の設計者・鈴木信弘さんの設計した住宅。
接道する「公共道路」の幅員はなんと1.8m程度。
この幅の道路にしっかり上下水道のマンホールなどが確認できた。
もちろんクルマの進入はできない。
こうした地域で、駐車場を持てるというのは大変な「ステータス」。
こうした狭小幅員の地域では、建物の「セットバック」も要請される。
2枚目の写真のように、この家でも約1.8m幅で外壁ラインが後退している。
行政的にはこうしたセットバックで公共道路の事実上の拡幅を意図しているけれど、
あくまでも「私権」への要請であって、建築後、その私有地に塀が回されたりして
事実上、幅員が連続しない状況が現出している。
「公平」という観点からは難しい部分ができてしまう。
本来タウンハウス、町家あるいは長屋などの都市集住形式があるべき地域に、
場違いに「戸建て住宅」文化が無理矢理に挿入されている。
こういった都市住宅の状況を見て、見学中ある人からは
「やはりマンションの方が・・・」という
本来、戸建て住宅事業者としてあるべからざる発言まであった。
しかしまた一方で、こういった条件の中での家づくりには
「意地でも都市に住みたい」という極限的環境での叫びも聞こえてくる。
戸建て住宅がこういった私権制限が必要と思われる地域で建てられる結果として
近代以前の都市集住の地域性として存在した生活マナー・エチケットは、
大きく後退し、個人主義的主張が大きくなってこざるを得ない。
そのあたりの「公と私」の関係が、いまの日本では十分に探究されていない。
常に棚上げされ続けてきた大テーマなのでしょう。
しかし棚上げされ続ける間にも、戸建て住宅は建てられ続けてきている。
秀吉の時代には、権力の強制で解決できたけれど、
いまの時代、民主主義的な私権コントロールははたして可能なのだろうか?

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