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【クルマ社会、移動の自由と道路・住宅地街割り】

現代の「住宅地」というのは、当たり前のようにクルマ交通が前提。
たとえ、クルマでの移動を選択していない場合でも、
住宅地というものの基本的価値感のなかに、
クルマ交通は大前提として組み込まれている。
まぁ首都などの一部の密集地域では前提されないエリアもあり得るけれど、
こと「戸建て住宅」を考える上では、当然の条件ですね。
こういう「移動の条件」というのは、たぶん人間居住環境では
普遍的に考慮されるべき基本要素だと思います。
江戸時代までの街並みも、馬や船の便が基本的な街並み構成要素。
また、もっとさかのぼって縄文の頃の住宅を見ても、
ほとんどが水運、船での移動交通手段が場所決定の大きな要因。
だいたい、船での移動のための船着き場の周辺で集落が営まれる。
古代の海や川の位置はいま見ているものとは違うのですね。
昔の地形を想起すると、必ずこの原則に沿っている。

先日、AIについての講演を聞かせていただいたのですが、
クルマの自動運転技術はほとんど完成していて、
いまは社会の側の受け入れ、法的環境整備の方に関心が移っているとのお話。
そういう変化がクルマの「所有形態」をも変える可能性に触れていた。
いわく、運転がクルマ=機械の側で自動化されると、
劇的に移動のコストが低減し、所有コストが問題になるとされた。
必要なときにだけスマホなりで「呼んだ」方がコストが下がるという意見。
たとえば家族の移動コストが1日で1000円以内になったら、
1カ月で30,000円。クルマを所有するコストがそれ以上ならば、
合理的選択として所有よりもレンタルなり、タクシーを
選択するのではないかというご意見でしたが、どうでしょうか?
AIは、タクシー業界にとって確かに劇的変化にはなるようです。
でも、ここまで自家所有が広がったクルマ文化を人類がカンタンに放棄するか、
どうも想像しづらい。やはり「移動の自由」に所有は欠かせないのではないか。
思い立ったときすぐに移動できるというのは、現代に至って
人類が獲得した「自由」のなかでも最大のものである気がする。
一度手にしたこの「快適性」は、なかなか放棄しないのではないかと。
このあたり、歴史がどのような未来を選択するのかは、
想像のレベルを超えた世界。

しかし、こと住宅の側からすれば、
人類の移動手段が仮にそのように変化したとしても、
クルマのための道路網は絶対に不可欠なものとしてあり続ける。
上空から見てのこの「住環境」は、この方向でしばらくは進化すると思われる。
しかし、上から見ると屋根の無落雪化はすさまじいです(笑)。

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