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渡来僧・蘭渓道隆

ふたたび建長寺関連であります。
どうもすっかり気に入ってしまっております(笑)。
いろいろな縁起に関する事を知れば知るほど
面白みが出てくるのですね。
この建長寺では、境内で中国語が話されていたということ。
本格的な禅の導入ということで、
中国からその流儀を直輸入した、ということなのです。
で、その大元になる僧呂も中国から派遣を依頼して
当時32才という気鋭の僧・蘭渓道隆というひとが来たのです。
写真の木は、ビャクシンというヒノキの仲間の針葉樹で
当時、日本にはなかったか、希少であった木だそうで、
かれが本国から持ってきたものだそうです。
禅の流儀や教義を教え込んでいくのに、
こういった植栽など背景文化もまるごと持ち込もうと考えたのでしょう。
この地に植え込んでから800年近く、
近年、痛みが目立ってきているので修復に当たっているようであります。
つい近くの鶴ヶ丘八幡の大銀杏が倒壊したこともありますが、
そろそろ鎌倉という関東の都市文化も、そういう時期に差し掛かってきたのでしょう。
こういう人間ごと、その外来文化を持ってくるというのは、
鑑真などの例でも知れるように、日本の文化導入の基本的なスタイル。
明治の頃の北海道開拓のケプロンやクラーク博士なども含めて
日本の伝統的なやりかたなのでしょうね。

なんですが、かれは運悪く
元による日本侵略の時期にも当たってしまって、
日本側からはスパイのように見なされていた時期があるらしく、
何回か、この建長寺から追われてほかの寺に移ったりしているようです。
禅の教義の純粋性を教えるのに中国語を使っていたことが
日本側に無用な懐疑を起こさせたのかも知れませんね。
かれの来日と同時に、建築技術者も同道してきていたようです。
本格的な禅宗寺院の建築とそのメンテナンス専門技術者たちですね。
木工技術者や、瓦などの技術者も来日した。
まぁ、こういう渡来文化の受容というのが日本の基本を構成している。
その点、ヨーロッパに対するアメリカのような側面が
アジア世界と日本社会には色濃く存在しているように思います。
こうした技術者から、新しい建築様式や技術が日本にもたらされ、
たとえば「唐破風」というようなデザインスタイルが導入されたのでしょうね。

はるかな800年の以前、
このような文化の交流が明確に残されていることに
また、そういう運命に自分自身の未来を託して渡来した
ひとの人生というものに、しばし思いを致してみた次第であります。

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