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鎌倉・建長寺再訪_1

きのうは連休初日ということでしたが、
そのうえ、パリーグ開幕ということでしたが(泣)、
飛行機の関係で、もう一日東京にいることに。
っていうことで、やむなくライフワークの取材で鎌倉の建築を見学に。

で、やはり鎌倉というと、どう考えても建長寺ですね。
前にも一度行っているのですが、その伽藍配置の豪快さが面白く
今回再度見たいと思った次第です。
鶴ヶ岡八幡が最大の観光スポットですが、
ややはずれた建長寺は、驚くほどに人出が少ない。
でも建築的には、建長寺って、やはりすごい建築で圧倒されます。
時代背景は承久の乱(1221年)を経て北条氏の権力基盤が安定し、京都の中央政府の支配力は相対的に弱まり、鎌倉が事実上、日本の首府となっていた時代。
建長という年号を寺の名称に付けているように
北条氏の建立だけれど、国家事業として造営された様子が伝わってくる。

で、最近、写真のように屋根端部・軒先端部の木組みに興味を覚えているのですが、
この建長寺の「仏殿」に非常に面白い作りを発見した次第。
仏殿に関して、Wikkipediaの記述では
重要文化財。
寄棟造で単層裳階(もこし)が付く。
芝(東京都港区)の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋(たまや)を建て替えに際し、譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築されている。
もともと霊廟建築として造られたものであるので、屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なっている。すなわち、屋根は入母屋造でなく寄棟造である。また、天井は禅宗仏殿では平板な「鏡天井」とし、龍などの絵を描くことが多いが、この仏殿の天井は和様の格天井(ごうてんじょう)である。
堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)、もとこの地にあった心平寺の旧本尊地蔵菩薩坐像、千体地蔵菩薩立像、千手観音坐像、伽藍神像などを安置する。

となっています。
どうもこの「霊廟建築」という記述に様式的な特徴があるのでしょうが、
屋根端部・軒先端部の木組みが上の層と、下の層で
作り方が違うのです。
上の層は、横架材が放射線状に建物中心側から配されているのに
下の層では、隅角に太い構造材が渡されて
それを補強するように段々と短くなった木材が平行に組み上げられていっている。
この辺の違い、以前も奈良期建立の岩手県水沢の黒石寺の訪問記でも書いたのですが、
今回は、ひとつの建築で使い分けられていることが発見できた。
で、内部にあった「塔」の建築模型を子細に見ると
屋根端部・軒先端部の木組みは、この上の層の作り方になっている。
どうも建築の用途の違いで、この技法が使い分けられていると思える。
そういえば、上の層の木組みは、
ほかの部分でも大変派手で、組み物の構成の美しさで
まるで天に向かって屋根が飛翔するような感覚を訴求してきている。
宗教建築のデザインとして、まことに美しくまた合理的。
どうも、その奥行きの深さに驚嘆する思いを抱いた次第です。

木組みの合理性と、そのデザイン表現の秀麗さに
現代建築がまったく持ち合わせていない部分と感じざるを得ません。
こういう建築は、やはりサスティナブル建築として生きながらえていくでしょうが
ひるがえって、東京に林立するビル建築は
この先行き、どうなっていくものか、
はなはだ心許ない気がいたしますね。

北のくらしデザインセンター
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