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【伝統を排除した現代的無名性の社会復元】

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きのうも少し触れたテーマなのですが、
東日本大震災での「全的被災」の結果、集団移転を選択して
新たな「集落造り」に向かって歩んでいる地域社会の状況を聞くことがある。
どこということではなく、一般的に広く聞くことがら。
そこでは震災以前まで多くは地域の神社などの「まつり」があって、
それが人々の人生歳時記に刻印されてきていた。
生き死にの想い出までが、そのまつりの時空間で積層されてきていた。
そこでは当然、長い先祖からの営為もあったことでしょう。
であるのに、現代社会の無宗教志向、政教分離という
本当に日本人の本質的生き方を凝視していないと思える理念に基づいて
「社会復元」が現にいま、行われつつあって、
人々の伝統的な「地域社会文化」が結果として無惨に破壊されている。
しかし、コミュニティの形成・存続には
人々のこころの繋がりということは、欠かせない部分になる。
そこで、宗教性のない営為というものが代置されることになる。
そういうものも、行政側と住民との対話で進んでいくけれど、
それを企画し、運営していく側の自治機構もアタマが痛い。
敬老会とか、花いっぱい運動とかが代償的に「公的」行事で行われている。
しかし、そこには伝統に根ざした民族的な「知恵」は見失われている。
というか、現代の都合による伝統的生活文化の破壊は
はたして民族的な視点からみて、本当に許されるのだろうか?
という大きな疑問を抱かざるを得なかったのであります。

端的に言って、被災した住民は集団移転させるが、
同じように全的に被災した神社や仏閣は彼の地に放置されている。
人間は救うけれど、神さまは救済されていないのです。
そのことに大きな不条理感を持ってしまったことがあるのです。
たぶん、伝統的な地域の中核的な「まつり」などがある場合、
現代統治機構側は、その伝統性を「尊重」して配慮すればいい。
それは住民の意思に基づいているという、追認でことが終わる。
それに対して、全的被災以降はある特定意志を持ってでなければ
「存続させる」ことに非常な困難がともなってしまう。
行政側としては、そのような危険は極力回避したいだろう。
そんなことが結果として「愛着」を持てる地域復元を困難にしている。
見方によっては、復元される集落は真空的な現代無名性のミニ都市。

時間が経過したあとで、
こうした平成の時代の「決定」が、どんな価値判断になっていくのか、
そういう視点も持っていかなければならないのではないか、
という思いを持っている次第です。いかがお考えでしょうか?

<写真はある歴史展示施設での中世的集落・中心施設ジオラマ>

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