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国家目標と官僚制

きのうは朝一番から昼まで、疲れまくっている頭で座談会司会進行。
ほぼ頭の中身がじんじんと低温氷結しているような感覚に襲われておりました。
そのうえ、終わってから、ちょっとびっくりするようなこともあって
疲れ頭がさらに進行しておりました。

さて、今回の出張では国の施策についての情報収集も大きなポイントでした。
そういう中で感じることなのですが、
官僚制って、果たして万能なものなのかどうか、
っていうような疑問であります。
国家権力は選挙という形式で民主主義で運営されるというのは歴史的経緯から考えて正しい。
そして、それを基本にして3権が分立しているというのも理解できる。
(まぁ、そういう基本の中に天皇制問題が複雑要因としてからむけれど)
しかし、現代の権力運営の中で、行政の部分は不可視領域と化している。
政治家は、まぁよくもこれだけどうでもいいことで叩かれる、というくらい叩かれる。
政治家を叩くというのは、マスコミが自己の存在意義として
「権力の監視」という側面を大きく訴えてきた経緯があって、
その存在証明のように、責務のようにやってきている。
しかし、政治家に聖人君子になれ、と声高に言う割りに、
ほかの権力機関、行政・官僚システムに対して「権力の監視」って、
マスコミはそれほどやっていない。
そういう方法論についてすら論議が起こされたことがない。

官僚制って、いま実に多くの矛盾、行き詰まりがきている。
現状でいえば、民主党に政権交代して官僚システムにメスを入れようとしたら
サボタージュや、部分的脅しを行っているのではないかと思われる事態も見られる。
もちろん、確たる証拠があってのことではないけれど、
政治家に対しては確たる証拠がなくてもどんどんリークを流すのに
官僚組織に対しては、絶対にリークが流れない。
非常に不透明ななかで、秘密が厳守されながら政策は立案されていく。
官僚制がもっとも機能するのは、歴史的に見て
「国家目標」というものがくっきりと明確になっている右肩上がりの時代だけではないのか。
極端に言えば、それ以外の時代背景の中では
どうにも組織は目的を喪失して、自己存立だけを目的とすることになりはしないか。
そんな気が強くしてきます。
目標が明確であれば、「優秀」なひとたちはそれをもっとも有効で早い速度で
達成させる手段開発に向かって突進できる。
ところが、「なにをなすべきか」と苦悶している時代には
「優秀」であっても解決できない現実に、目的も不明になってしまう。

どうも最近の事態の推移を見ていると、
このような官僚制の矛盾点ばかりが目に付いてきてならない。
地方公共団体の中には、その組織の目的のために使うお金が全くなくなって
その構成員に支払う給与しか、予算が確保できない組織というのが増えているという。
端的に言えば、政策的予算がない政策組織というバカげた事態になっている。
で、貴重な予算について、その執行のされ方、予算の組まれ方に
さまざまな問題点が噴出している。
やはり政治が目的性を明確にして、方向付けを与えていかない限り
現状の問題点は解決できないところにきている。
ただ、見ている範囲でいえば、政治と官僚制のあいだで
さまざまな確執が生じて、機能的にスムーズになってはいないのが現実。
政治が打ち出そうとする方向に対して、面従復背で対応しているのではないか
そういう疑問が強い。

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