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長野県の開拓農家

取材先農家から正面には南アルプスの山々

今回の取材ツアーでも印象的だったのが
この長野県松川町の取材先でした。
太平洋戦争後、すぐに開拓農家としてこの地に入植したというお話し。
その当時に建てられていた住宅に、今回建て替えるまで住んでいたそうなのです。
聞くと、当時は住む家をすぐに建築できるわけもなく、
すでに使わなくなっていた近隣の農家住宅を「分けてもらって」
解体してこの場所に持ってきて、移築したものなのだそうです。
いまは、若干使うのに注意しなければいけない言葉に「百姓」というものがありますが、農家とはいろいろな仕事をしなければならない、
その基本的な仕事として、家の造作などもあったのですね。
基礎工事をどうしたものか、ですが、
建てられていた敷地は川の縁で、
土留めのためにたくさんの石が、石垣として造作されていました。
新規入植者として、川に近いという水害の危険が高い場所というのは
まぁ当然のことだったことと思います。
伺ったときにも家の外側にはたくさんの石積みがありました。
川に近いと言うことは、たくさんの石がゴロゴロしている土地、
ということも表しているのでしょうね。
土地を耕すという前に、このような石を一生懸命に取り除き、
でも、その分、川から流れてきた土壌なので、周辺の堆積腐植土を
たくさん含んでいる土壌になったことと思います。
戦争に負けて、食べていかねばならない、という状態の中で
今日のような就農規則が厳格ではなかった時代、
あまり農業経験がない人たちが、このように開拓に取り組んだのだなぁと、しばし、感慨深いものを感じた次第です。

その当時、すでに「中古住宅」だった建物だったわけですから、
はたしてどんな状態の家だったのか、
まぁ推して知るべしだと思いますが、
住宅というものが、そのように資産として活用されて転用されていた
ということの方に、強い興味を持ちました。
日本の在来工法は、木による組み立て方式であり、
簡便に移築させることができ、転売もされ続けてきたものなのだと言うことが、こういうエピソードからわかると思うのですね。

いま、「長期優良住宅」ということが語られているのですが、
このようなお話を聞くと、
庶民は貧しい中で、その生き抜いていく工夫のなかで
「もったいない」知恵を持って、いまあるものを最大限に利用してきた。
それこそ、必然的に長期にわたって利用し続けてきていた、
ということが明瞭にわかると思うのです。
たぶん、農家住宅というものはそういうものだったのでしょう。
そう考えるとき、国の国交省がいろいろな条件を付けて
これが長期優良住宅の要件である、と定めてきつつあるのですが
どうもそういうものが根付いていくものとはとうてい思えない。
庶民は、自分たちの止むにやまれぬ理由でもって
生かしていくものは生かしていくものなのだ、と
思わずにはいられないのですが、どうなのでしょうか?

北のくらしデザインセンター
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