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鎖国と憲法9条

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写真は、先週土曜日の札幌市内・狸小路の様子。
あちこちにできている待ち合わせ場所などでは
中国・台湾・欧米などからの観光客のみなさんが占拠しています。
いまや、全国的にどこでもこうした光景が普通になってきた。
日本って、この列島社会形成期においては、
間違いなく、東アジア世界でのフロンティアの地であっただろうと思います。
世界で新石器時代だったとき、この列島では、縄文時代が成立した。
他地域では依然として狩猟採集が基本だった時代に、
海岸線地域での漁労と、照葉樹の森が育んだ木の実の採集で
「定住」生活が可能になった稀有な地域だったのではないかと思います。
他の地域では、定住はすなわち農耕だったのだろうと思いますが、
ちょっと違う発展の仕方をしたのは間違いがない。
そういった時代から、大陸地域で農耕が本格的に発展し、
同時に不可欠になった「文字」記録や、「政治機構」が相対的に
「進化した文明」として、列島社会に一気になだれ込んできた。
歴史で言えば、弥生という輸入された生産様式、文明が、
ひとびとの「移住」にともなって、この社会を覆っていった。
この列島に古い時代に定住した人々を、はるかに上回るかたちで
どんどんとフロンティアが流入してきた社会なのだと。

そういう基本の社会であるのに、
ヤマト国家が成立して以降、なんども断絶を志向する流れもあった。
白村江での敗北での国家的緊張がその最初だったと思われます。
かならず、唐・新羅の連合軍はこの列島を攻撃してくるに違いない、
そんなふうに極度の緊張が走ったのだろうと。
こうした民族的な体験は繰り返され、最終的に
江戸期にいたって「鎖国」という特異な対外路線を日本は歩んだ。
その直前期までの戦国乱世への反動だったのか、
あるいは秀吉による東アジア国際関係の破壊が、選ばせたものか、
結果として、日本は一国平和主義を選択し、
基本的には進歩がもたらす戦乱や、その可能性から離脱した。
長崎の出島から、海外の動向を例外的にのぞき見てきた。
そういう日本の姿勢は、しかしペリーの黒船でもろくも打ち砕かれ、
列強による植民地支配への恐怖が一気にこの社会を覆い尽くす。
明治の開国から第2次世界大戦まで、
こうした鎖国体制から世界に目覚め、その反動から結果としての
他国への侵略行為と言われてもやむなき事態を惹起した。
そして結末としての原爆投下、アメリカによる占領。
日本は、今度は占領国による大きな強制を受ける。
それがいまの憲法であり、9条ではないのだろうか。
この国は放っておくとアメリカをも脅かす国家であり、
対外的侵略に走ると、占領国であるアメリカが決めつけ、
現行憲法というかたちで、大きく規制をかけたものであることは明らか。
そして国際政治バランスに於いて、永続的に従属関係から逃れないように
国内的には9条で縛りをかける一方で核超大国アメリカの軍が
「安全保障」を提供してきた。こういう桎梏のなかに日本はある。
わたしは、この体制はしかし、そう不幸なものではないと思っている。
そしてまた、良くも悪くも、
日本人が憲法9条に持つイメージは、鎖国と似た部分があるのだとも思う。
憲法、そして9条が持っているユートピアのような思想に
いつまでもくるまれていたい、という希求自体はよくわかる。
しかしいまや、アメリカの超軍事大国体制も、そのままの存続は怪しい。
日本の戦後の「平和」は、誰が見ても米軍の駐留が源泉で、
残念だけれど、憲法や、9条を他国がリスペクトしたからではない。
その虚構が崩れたとき、世界のだれも憲法9条を保障する体制はない。
ロシアによる白昼公然たる侵略、領土獲得行為。
中国による南シナ海、東シナ海でのふるまいを見れば明らか。
そのことが、黒船ペリーのようなかたちで、
ふたたび日本とその正当な権益を襲うことがないか、きわめて疑問。
少なくとも、政治がこういう国家の安全保障を
冷徹に論議しないというのは無責任きわまりないと思います。

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