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朝日と産経の「対話」気運

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朝日新聞の「誤報」問題・記事取り消しから約1年が経過した。
この問題をずっと追求して、朝日新聞に誤報を認めさせ、社長退陣という
状況をリードしてきた産経新聞の阿比留記者による、
元朝日新聞記者でこの件の当事者である植村元記者への
産経新聞として初めてのインタビューが行われ、
現在、WEBや紙面で発表されています。
インタビュー終了後の阿比留記者のFacebookでは、
植村元記者の家族への嫌がらせ行為に対して、
そうした行為を止めるよう、厳重な注意喚起が行われていた。
植村元記者の言論活動に対して、批判を加え論難するのは
これは大いにあるべき言論の自由だけれど、
行為主体者ではない家族に対して、嫌がらせ的な行為を働くのは、
弁解の余地なく不当だと思います。
こうした注意喚起をしっかり発言するというのは、言論人として
言論空間での批判・反批判を実りあるものとしていくためにも
絶対に、怠ってはならない部分だと共感を持ちました。
その上で、産経新聞上でインタビューの記事が掲載されている。
「産経も当初、記事で間違っていましたよね」という部分など、
かなり率直なやりとりが交わされていて、これは国民の冷静な
判断にとって、きわめて有意義な記事だと思って読んでおります。

ひるがえって朝日新聞と毎日新聞その他、地方新聞の一部では
安保法制論議について、冷静さに欠けた誌面づくりが続いている。
世論調査で4割近いといわれる賛成の立場の人間など、
まるでいないかのごときで、場合によっては非難の対象になっている。
むしろ、メディアによる安保法制反対の扇動という状況。
Twitterで反対派への疑問をつぶやいた芸能人が「炎上」したとか。
先日の毎日新聞の「経済的徴兵制」というメルマガトップ記事には、
さすがにギョッとさせられたりもしました。
なんでも、経済の厳しい状況の中、若者の仕事が少なくて
「やむなく」自衛隊に入らざるを得ない状況がある。これは、
経済的な「格差」から導き出される事実上の「徴兵制だ」という。
こんな荒唐無稽な発言をセンセーショナルにトップ記事にしていた。
そもそも国の安保論議では、政権として脅威を具体的に説明することは
周辺国と無用の外交問題に発展する可能性があることが自明であり、
そういう状況で政権側が詳述しにくいことをいいことに
さも現政権が「望んで戦争したがっている」など、
常軌を逸した暴論で、冷静な声をかき消そうとしている。
法の字句通り、戦争を抑止するための自衛の現代最適化が
この法制の本質以上でも以下でもないのではないか。
この間の安保法制論議で論議になっている点は2つだと思う。
1つは、集団的自衛権の行使を容認した憲法解釈の是非について。
2つめは、激変してきた日本の周辺環境についての対処法。
1つめについては、字句通り憲法を「学問的に」みる憲法学者とは、
現代語を「正しい、正しくない」と振り分ける国語学者みたいなもので、
かれらには、現実の国際情勢のなかでの判断はしようがない。
他国の軍事状況の進展は、かれらの研究領域には発想自体がない。
これは優れて、政治が論議するしかない問題だと思う。
2つめの周辺国家との緊張関係について、各新聞社は誌面を通して、
冷静に国民への判断材料を提供すべきだと思う。
仮想敵側は攻める側であり、防衛側の想定を超えた作戦を普通は考える。
であれば、想定のすべてをあきらかにすることは
いま日本の安全について責任を持っている政府の側としては
きわめて難しいだろうと思う。
であれば、メディアでもこうしたテーマで国民論議を提供すべきだ。
安保上のこれこれこういう事態のとき、
具体的にわれわれ日本国民としてはどう判断すべきか、
第4権力とすら言われ、自由であるメディアが考えるべきだと思う。
「憲法を守っていれば、きっと周辺国家の軍隊は攻めてこない」と
思考停止して、嬰児のように駄々をこねるのではなく、
どうすれば日本の安全保障が担保されるのか、具体論を考えて欲しい。

こうした最近の言論環境の中で、
植村元記者と産経が、きちんと紙面で対話しようとしていることは
評価してもいいことだと思います。
朝日と産経という2つのメディアが、相互にリスペクトを持ちつつ、
もちろん、机の下では相当の小突き合い(笑)があっても、
きちんと論議することが、日本国民にとってきわめて有意義だと思います。

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