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家の中に道がある家 2

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きのうの続きであります。
家の中にまっすぐに道がある、というのは、なにか象徴的。
というのは、最近わたし、どうも「町家」「横町」みたいな居住環境が
本来、日本人的なコミュニケーションには向いているのではと感じているから。
町家って、個の空間である間口の狭い出入り口から一歩出ると
向こう3軒両隣の人間関係がすぐに関わってくる。
遠くの親戚よりも・・・、という濃密な関係性が人間生活をくるんでいた。
農的な暮らしにしても、古い時代の集村を見ると、都市のミニチュアであり、
「暮らしやすさ」ということを考えると、町家的居住の方が、
人類的にはより普遍的な居住形態なのではないかと思ってきています。
近代都市の「街割り」って、移動手段としてのクルマと道路への
過剰な「配慮」によって、人間相互の「関係性」を
破綻させた社会、居住形式のような気がする。
こういった町家居住と、クルマ・道路との関係性を構築する仕方は
いくらでも考えられると思うけれど、そうは発展しなかった。
むしろ、人間同士の関係性よりも、個の「自由」を優先させてきた。
しかし、そういう自由がいい人もいるけれど、
まったくシアワセになれないタイプの人もまた多いのではないか。
この「道の家」を見学していて、そんな想念を抱いていました。
もちろん、この家では複数世帯が同居しているわけではないのですが、
そのように思っていると、基本的な人間関係である
家族関係に於いても、そんな関係が意図されてもいいかもと思うのです。
下の写真のように、この「道」への採光を与えている周囲のディテールを見ると
外部に使っている壁材が、内側にまで入り込んできていて、
心理的にもそんな仕掛けを通して、建築家・畠中さんの感覚が伝わってくる。
そういえば、かれの自宅も大きな「通り道」のようであり、
そこで営まれる暮らしが、道を介した「会話」のようにも感じる。
やっぱりこういう空間には、音楽が似合ってくるものかも知れません。
音楽が満たされるといいかも、ということ以上に、
人間の会話や行動それ自体も、このハコの中では「音楽的」ともいえる。
吹き抜けのオープン空間が、家族の暮らしの全体をいつも包み込んでいる。
まぁ、一種の音響装置のような中で家族の暮らしが営まれる。
そんな設計意図なのかも知れないと、感じておりました。

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そんな想念に囚われていたら、
上の写真のような空間を見せられていました。
これは1階の居間に隣接した畳の部屋ですが、この地窓から
おとなりのおそば屋さんからの「出前」が届いたりするそうです(笑)。
また、下の写真は2階の「そとの居間」の様子。
屋根はないけれど、壁だけはあって、しかも「窓」が開いている(笑)。
そのそとには、庭木として取り込んだサクラやモミジが覗いている。
いわば、外部に開いて行くコミュニケーション手段も用意されている。
そういえば、外壁も凹凸がリズミカルに連続するサイディングが使われている。
目隠しとしてのルーバーもその凹凸の幅との連続を意識もしている。
やっぱりなんとなくリズミカル、そんな印象のお宅でした。

で、きのうは東大の前先生がふたたび札幌で講演。
リンナイさんのイベントでのものでしたが、
住宅のこと以外にも、いろいろ興味深かったので、あしたお伝えします。

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