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【人類史の「通史」的見方〜大英博物館展】

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本日は札幌、朝方、久しぶりの雨模様の日曜日のようです。
年を取って夜やすむのがはやくなってきて、反動で朝が早くなってくる。
でもそういう時間は集中もできる時間なので
ブログを書くのに適した時間なんですね。
むかし、日本の貴族たちは日記をしたためたりするのが多かった。
そういう日記が歴史研究の第1級資料になったりする。
鎌倉以前、それまでの京都の中央政権を担っていた貴族たちは
国家運営についての有識故実に通じ得るだけの、学習能力を持っていたけれど
武士の鎌倉新興権力者たちは、そうした教養の背景を持っていなくて
支配の法体系も整備できてもいなかった。
かれらは、漢字の読み書きなども満足にはできず、
守護・国司といった上級連中でも、旧支配者たちとは比較にならないほどの
教育レベルの低さだったとされていたそうなのです。
より実利的直接的な「御成敗式目」などで、実際的な地方における権力行使を
はじめて担うようになって、その実際に接するようになって初めて
被支配階級に対して、「撫民」思想を持って接するという
行動哲学を持つことができるようになったというのです。
そんなことで、まことに知識と学の積み重ねというのは、面白い。
現代ではインターネットという知の世界の進展があって、庶民でも
ある程度は、興味を持つ領域を幅広く知を求めやすくなってきている・・・

あ、横道に大きく逸れた(笑)。
本日は、先日見学した「大英博物館展」のことを書くつもりだったのです。
歴史って、とくに日本の研究者のみなさんは、
古代史とか、中世史とか、それぞれ専門に分かれていて、
いわゆる「通史」としての視点が育ちにくい、というように言われています。
学者の世界でも、「縦割り」の弊害が出ているとも言えます。
やむを得ない部分もあるとは思うのですが、
そういった部分については、最新の学究の研究成果を受け取る読み手の側で
整理と統合的な役割を果たしていく必要性があるのではと思っています。
そんななかでは、「世界を征服した」大英帝国が、
世界中から略奪してきた文物をコレクションしている
この博物館展示は、「通史」という視点を明示してくれる存在だと思います。
このあきらかなエスニシティへの「侵略・略奪」は、どうなのか、
っていう思いがあったので、ぜひみたいとはこれまで思わなかったのですが、
今回、東京都美術館で展示があると聞き、
たまたま行った「鳥獣戯画展」が、3時間待ちとか言われて、
炎天下の行列には耐えられないと、こっちを見学して来た次第。
まぁ、ほんの「さわり」展示なのでしょうけれど、
それでも厳選100点の人類史のベンチマークのモノたちは、
まさに人類とはなにか、という視点を持たせてくれる。
最初期人類の、ハイエナ的な生き様を伝える石器には驚かされます。
他の動物が食べ終わった大型動物の骨からその髄液を飲むために
石を加工した「道具」で破砕したという展示。
なんと、人類の脳の進化にそうした「栄養素」が大きな役割を果たしたという。
そんな展示から始まって、農耕社会と都市の形成が一体であった様子など
まことに「人類の通史」展示にふさわしい。
そして最後近くに展示された、モザンビーク内戦後、大量に集められ
廃棄された武器を使ったアート作品は、やはり胸を打たれました。

100点全部を見終えるのはけっこうな体力勝負でもありますが(笑)・・・。

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