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名家の光芒

1820

ことし訪れた住宅の中でもとくに印象深かったのが、能登の時国家。
家系伝承として、平清盛の弟で、大納言に叙任された
平時忠に出自をさかのぼることが出来るこの家は
確実に千年近く続いてきた名家ということができる。
わたしは住宅のことを仕事にしてきたけれど、
そういう物理的な「家」とは別に、日本人に根付いてきた「家」意識で考えれば、
この「千年続いた家」というのは、格別といえる存在でしょう。
現存する住宅自体は、江戸期の中期以降に建築され、
何回か、手を加えられてきた建物のようですが、
家系としての平家が、今日まで継続してきたのには
その時代にフィットするように、したたかに戦略的に生き延びてきたであろう
そのような気概を感じさせてくれました。
わたしの歴史の先生、故・網野善彦さんの著作を読んでいると
繰り返し、この「時国家」のことが書かれ続けていて、
この家のことが、まるでタイムカプセルのように記憶保存されていく。
前にも書きましたが、平家の伝承を持つ名家として
田中角栄に有罪判決を出した裁判官をこの家は輩出した。
なんども、日本の歴史に名前を登場させている。
たいへん上下対流の激しい日本の社会において、
このように永続しているということに驚き、感動しました。

わたしの仕事としては、「いい家、長持ちする家」みたいなことを
いわば、ものの側面から考えるという作業をしているのですが、
それに対して、この家では、
建築本体もなんども建て替えられてきているようなのです。
記録によると江戸中期以前には、もっと港に面した場所に、
もっと巨大な建物が建てられていたのだそうです。
そういった建築としてではなく、家として存続するには
平家であることを誇りとしながらも、ある時期にはそのことを秘したり、
時代時代の政治の変転の中でも、用心深く対処したりしてきています。
いま、時国家は上下ふたつの「家」になっていますが、
それは、江戸幕府体制の中で、領主である前田家と徳川幕府譜代との
微妙な政治情勢を察知して、保険を掛けるような意味から
当主が長男の息子に家長を譲って、自らは次男の家に移って
家を分割して、どっちの政治権力になっても生き残れるように画策した
そうした痕跡がしるされているようなのです。
そしてあくまでも交易で栄えた平家らしく、日本海交易を経済基盤として
日本の歴史の荒波を生き抜いてきた。
どんな時代になっても、生き抜いていくという経済的なたくましさ。
そういった魂魄のようなものが伝わってくる。
たぶん、3代は続かないような「家訓」とはまったく違う処世訓を
こうした「家」は保持し続けてきたに違いありません。

こういった具体的な家の永続性ということ、
とくに北海道にいると、ほとんど信じられない世界です。
一個の個人としての営為を超えて生き延びる意志のようなもの、
そういう部分を少しでも学びたいと思う次第です。

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