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日本人による刺身食文化

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歴史をいろいろ興味を持って学んでいくウチに
だんだんとイメージがシンプル化してきています。
というのは、現生人類がこの地球上に繁茂してきた流れというように
理解を単純化させると、見えやすくなってくるのです。
現生人類がアフリカを出てから、約5万年。
で、さまざまな食べ物をあさって生き抜いてきた。
そのなかでアジアに向かった一団のなかから
やがて弧状列島に住み着いた人々がいて、
約12000年前くらいから、縄文という土器を作って
森からの採集と、海からの海生動物の捕獲を旨として暮らし始めた。
その食文化は魚類を食べることを基本にしていた。
わたしたちの今日の刺身や鍋料理って
こういった歴史性を単純にわかりやすく伝えているのではないか。

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でも、そういうなかでもわからないのが
「しょうゆ」の来歴であります。
Wikkipediaでは、

日本における最古の歴史は弥生時代とされている。
肉醤、魚醤、草醤であり、中国から伝わったものは唐醤と呼んだ。
文献上で日本の「醤」の歴史をたどると、
701年(大宝元年)の『大宝律令』には、
醤を扱う「主醤」という官職名が見える。
また923年(延長元年)公布の『延喜式』には
大豆3石から醤1石5斗が得られることが記されており、
この時代、京都には醤を製造・販売する者がいたことが分かっている。

というような記述が見られる。
刺身という食習慣も、同じくWikkipediaによれば

新鮮な獣や鳥の肉・魚肉を切り取って生のまま食べることは
人類の歴史とともに始まったと言ってよいが、
人類の住むそれぞれの環境に応じて、生食の習慣は或いは残り、
或いは廃れていった。日本は四方を海に囲まれ、
新鮮な魚介類をいつでも手に入れられるという恵まれた環境にあったため、
魚介類を生食する習慣が残った。
「なます」は新鮮な魚肉や獣肉を細切りにして調味料を合わせた料理で、
「なます」の語源は不明であるが、「なましし(生肉)」「なますき(生切)」が
転じたという説がある。一般には「生酢」と解されているが、
それは調味料としてもっぱら酢を使用するようになったことによる
付会の説であり、古くは調味料は必ずしも酢とは限らなかった。
この伝統的な「なます」が発展したものが刺身である。

というのが通説のようです。
それにしても、ナマの魚介としょうゆという単純な食文化、
たぶん、縄文にルーツを持つに違いない文化は
日本人は長く保持し続けるに違いない。
・・・こんな興味を書きしるしていたら、
無性に寿司を食べたくなってきた(笑)。
本日の昼か、夜、回転寿司に直行しそうであります・・・。

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