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わたしの読書経験について

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きのうは生煮えのままの思いを書いてしまったかと反省しています。
実は最近、大江健三郎さんや埴谷雄高さん、司馬遼太郎さんとかの
自分が愛読者であった時期のある作家について
いろいろと考えることがあるからです。
わたしは小学校から高校と、ずっと出版文化周辺に強い興味を持っていて
それで、同時代性の感じられる作家として
華々しく取り上げられていた大江さんに、処女航海的に強い興味を持ちました。
まぁ、はじめて「文学」に触れたのが大江さんだった。
「万延元年のフットボール」という当時の話題作で、
まるで「密教」的な世界だと、強く目を開かせられるような思いを持ちました。
読後、つよい酒を飲みたくて仕方なかった。高校生なのに(笑)。
そんなふうなことは、ひとに言ったこともないし
書いたこともないのですが、自分の肌で感じていた実感です。
それまで読んだ文章は、「顕教」的な、
理性的な無味乾燥な道具としての文章であり、
そういった文章に対して、新しい表現手法ではないかと
まだ高校生なのに、すっかりそうした表現手法にハマってしまった。
見よう見まねというか、その文体で自分も考えるようになってしまった。
若者はやはり影響されやすいのは事実だと思います。
そして当然のように、「沖縄ノート」や、「持続する志」「厳粛な綱渡り」
といった時事的なエッセイ集も読むようになり、
社会へのスタンスとしても、ある共有感をもっていた。
ただ、沖縄ノートで書かれた内容について
極悪非道のように書かれた方から大江さんは訴えられて、
3年前に最高裁まで争われた末に結審したという事実を最近知りました。
裁判は大江さんが勝利したそうですが、最高裁まで争ったという方の
「持続する志」の所在も、心して読み取らねばならない。

大江さんの「思考回路」から紡ぎ出される独特の言語表現、
とくにタイトルネーミングの独創性には強く惹かれていました。
たぶんこういう部分はわたし自身、
良い悪いは別にして、身体化しているところがあると思う次第。
「顕教」と「密教」というのは、もちろん当時そんな仕分けが
出来ていたわけではなく、まぁ後付けでの解釈ではありますが、
その後、「顕教」と「密教」ということの意味を深く知ったとき、
自分自身の問題として、この仕分けがもっともふさわしく感じられたのです。
ただ、こういう密教的世界観は、若者には重たすぎて
あまりにも暗すぎる世界観だと思う部分がありました。
現実世界感覚が徐々に鈍磨していく危機感が大きかった。
一方で、戦前戦中の共産党活動家で獄中で転向し、
戦後、作家活動を開始した埴谷雄高さんの、
いわば明晰な難解さの文体にも強く惹かれていった。
そんな学生時代を過ごし、社会人になるとともに必然的にと言うか、
当たり前の「顕教」的な世界に生きていくことにならざるをえず
こうした文体の世界とは否応なく離れていった。
なにより、時間的にとても付き合っていられない、というのがホンネ。
でも、大江さんは読まなくなったけれど、
埴谷雄高さんが、「死霊」の続編を書いたときには、
さすがに徹夜して読んでしまった記憶がある。
かれの文章は、表現すべきことが明晰であるように感じられた。
というか、作家としてある表現すべき対象が明確だと思っていたのです。
そんなふうに埴谷雄高さんを普通に読んでいて、
ふとしたときに、「戦後文学でもっとも面白い作品は?」という
読書新聞とかの特集記事にふと接したら、
なんと、埴谷雄高の「死霊」が文学評論家たちの一番人気であることを知った。
そのような記事を見たときに、「そういうものか」と頓悟した経験がある。
そしてやがて、読みやすい文体で日本人を考え続ける
司馬遼太郎さんと出会って以降、
大江健三郎作品とはまったく離れ続けてきたのです。

で、いま、こういう自分自身もしっかりと振り返ってみたい
あらかじめ肯定でも批判でもなく、冷静に考えてみたいと
そんなふうに考え始めている次第です。

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