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住宅建築の装飾性

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写真は神戸異人館街のある住宅。
明治の初年にこうした「見たこともない意匠性」に遭遇したひとたちは
さぞかし、仰天したことでしょうね。
それまでの日本住宅建築の装飾性とはまったくスジが違った。
しかし、日本の職人技術は柔軟にこうしたデザインを消化していった。

でも、こういう「意匠性」って、
いったいどういうことなんでしょうか?
最近、よく分からなくなっている部分がある。
というのは、東大工学部の「エネマネハウス」の設計合理性と
そのデザイン表現に接して、
はたと膝を打つ部分があって、
どちらかというと、暴力的に性能合理性優先のものに
えらく惹かれる部分が大きくなっているのです。
人間の行動について合理性で判断して
装飾的、意匠的なものをそぎ落としていったものの方に
えらく「意匠的」にも強く惹かれてしまう。
東大工学部の「エネマネハウス」では、人間の家での必要領域として
3つの機能性に絞り込んで、
ひとつは、家族の中でのコミュニケーションゾーン、
もうひとつが生命維持的な水回りゾーン、
さらに個人的な活動空間領域というように明確に絞り込んでいる。
いいなぁ、っていうことです。
そうなんです、あんまり機能を複雑にすることが人間の幸せではない。
複雑な現代生活、現代人には単純化していた方がいい。
その分、エスニック性というか、その場所性に対して
徹底的に「柔軟に」こだわって、追従するデザイン手法というのもアリだ。
居住する地域の気候条件や、微気候条件の中で
もっとも気候工学的に対応した「ハコ」を作る方が理にかなっている。
どうも、そんな気がしてならないのであります。

さてさて、本日は面接仕事がたくさんであります。
その上、カミさんは風邪の症状がなかなか改善しない。
健康自慢にしては、今回はきびしい。
その分、あれこれ家事その他の案件がもろもろ発生しております。
がんばらなくっちゃ、、、、。

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