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家紋と社会意識

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家の屋根瓦に家紋を入れるというのは
その家の名家意識を表しているのでしょうか。
写真は、わたしの家系のある家屋屋根に葺かれた瓦家紋。
こういった家紋というような文化が今後とも存続していくものかどうか、
とくに北海道にいると、隔世の感をいだかされます。
しかし、わが家の縁のある菩提寺では、奥の院のような場所も案内され
そこには、由緒ある家のご先祖様たちの位牌が整然と並べられていて
その様式美のようなものに圧倒もされました。
家と個人というものが不可分であり、
国家や地域社会との契約関係の基本が家であった時代と
個人が国家社会と直接的に関係を持っている現代との違いか。
現代世界では、相対的に「家」意識は後退している。
しかし日本人の心性には、
抜けがたく、家を優先させる意識があるのだと思う。
というか、公である国家が異様に肥大化したのが、
第2次世界大戦にまで至った世界の帝国主義時代というものであり、
むしろいまは、そこから社会が離脱しようともがいている状況なのだ。
そのような国家主義の肥大化以前の社会では
こうした「家」意識が、支配的だったのだと思う。
で、これからの社会ではどういった意識が、
と考えていくと、やはり、個人意識の肥大化というのが方向性なのだろうか。
帝国主義の時代を超えて
世界は多国籍企業の時代になって、
国家意識というのは止揚されるかに見えたけれど、
あらたに帝国主義的な膨張意識をもつ全体主義国家が
国家資本主義的な存在として立ち現れつつある。
本当はへきえきさせられるのだけれど、
それへの対応は考えていかなければならない。
なかなか難しい時代になっていると思います。

家紋というようなものも、
歴史的な所産のようで、1300年代ころには成立していなかったとされている。
そうすると、このような時代の変遷の中で
消滅していく文化なのかも知れませんね。

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