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コンパクト・高性能という価値観の社会へ

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先日、日本学術会議を取材してきたことは触れましたが、
一番大きなテーマは、少子化の進展によって人口減少が進展していく
日本の住環境、人間居住環境の変化と言うことでした。
写真は、岐阜県の世界遺産「白川郷」の全景写真ですが、
結局人間は生産手段の変化に沿って、生き抜いていくのであり
それがまず第1の規定要因であることは論を待たない。
白川郷のような集住形式農村景観は、
生き抜いていく基本としての食材生産基盤としての農地開墾が進展して
このような山間地域も人間の食を支えることが出来た結果、
歴史的に維持されてきたものだといえるでしょう。
このような、喰って生きていくための当たり前の積み重ねが、ある生活文化を産みだし
独特の文化的景観を形成していくことになった。
そこに通底して流れているようなものが、
今後の世界の中でどのように変化していくのかは、非常に想像が難しい。
明治までのニッポンは、このような自給的な生活文化圏が
列島各地に分散していた社会だったのだと思う。
それに対して、欧米文明社会の規範を受け入れて資本主義的な産業形成、
生産手段の世界標準思想を受け入れた結果、
この写真のような「地域」社会は、過疎を余儀なくされていった。
明治以降、とくに戦後社会になってくっきりとしてきた変化は
「都市」というものがひたすら拡張してきたということだったけれど、
今後の人口減少を見越していくと、
そのような広がりきった「都市環境インフラ」を今後とも維持して行くには
大きな社会コストを覚悟しなければならず、
そしてそれはどうやら、ムリなのではないかという結論が見えてきている。
だとすれば都市は、縮小に向かって「進化」していくのだろうか?
小さくなるとか、縮んでいくという方向性の中に
進歩発展という要素を見出し、そこに前向きなイメージを形成していくようなことが
おぼろげながら、ニッポンの方向性のようなのだと思う。
産業領域で言えば、戦後ニッポンが生み出してきた最強のものづくりは
やはり自動車関連産業なのだろうと思う。
最近のハイブリッド車と軽自動車の販売の伸びを見ていると
燃費を抑え、コンパクトに高性能である、という方向性が明瞭になって来ている。
そういう流れを見誤ったような日産の低迷は
このことをハッキリと見せているように思います。
であるとすると、住宅はどのように変容していくのか?
すでに既存のストックが世帯数を大きく超えているなかで、
ユーザーはどのような住居形式、生活環境を選択していくのだろうか。
縮小していく中で、それでも産業としての
伸びる部分を見出していかなければならない。
考えようによっては、たいへん面白い時代が押し寄せてきたといえるのでしょうね。
そしてこういう競争に於いては、
ニッポンはかなり文化資産として、大きなモノを持っているように思います。
さて。

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